院長について

院長:田中康二

1978年北九州市八幡東区大蔵生まれ

1981年八幡東区大蔵から小倉北区霧ヶ丘に転居

1981年霧ヶ丘幼稚園入園

1984年霧丘小学校入学

1991年霧丘中学校入学

1994年九州国際大学附属高校男子部入学

1997年九州歯科大学入学

2004年九州歯科大学卒業

2004年小倉北区開業医「こが歯科医院」勤務

2008年小文字歯科クリニック開院

妊産婦向け小冊子「Children Notes」発行


はい、上の白衣の写真と同じ人ですけれども・・・

院長です(笑

本当に同じ人です(笑

信じて下さい(笑

ココから下は少し話が長く

立ち入ったお話になりますので

お時間ある方のみどうぞご覧ください。

幼少期


 

 

僕は北九州市門司区の病院で四人兄弟の三番目次男として生まれました。
当時、父が北九州市八幡東区大蔵で焼き鳥屋さんをやっていました。
焼き鳥屋さんのことはほとんど覚えていませんが、なんとなく長細いお店の雰囲気とカウンターの大きな「戦艦大和」のプラモデルをうっすら覚えています。
内向的な僕の性格を憂えた両親が、僕を裸にして車のボンネットに乗せて踊らせている写真が残っています。
大蔵に住んでいたころには、頻繁に「到津遊園地(現・到津の森公園)」に連れて行ってくれたらしいのですが、全く覚えていません。


3歳のときに父の実家のあった北九州市小倉北区霧ヶ丘に引っ越しました。
それからしばらくして「霧ヶ丘幼稚園」に通園するようになり友達が少しずつ増えました。
幼稚園の思い出は、父兄参観日に父と祖父が来てくれて嬉しかったのですが、父の格好が黒いポロシャツに白いパンツ、白いベルトに白い靴。おまけにグラサンにパンチパーマ・・・Σ( ̄д ̄;)・・・
別に怖い人ではなかったんですよ・・・タブン

小中学校


「北九州市立霧丘小学校」に入った僕は、もちろん内向的なままでしたが、幸運にも小学校一年生の時に今でも付き合いのある友人に出逢いました。友人にはいつも恵まれています☆
今では想像もつきませんが小学3年生くらいまでは給食を食べるのも遅く、いつも昼休みがほとんどない状態でした。身長も小学校を通して前から2~3番目でした・・・
小学5年生が終わった3月に父がガンのため他界しました。
父には厳しく育ててもらいましたが、毎週末に海へ山へと連れて行ってもらった事を今になっても思い出します。
小学6年生の時にとても尊敬できる担任の先生と出逢いました。
その先生のおかげでひねくれることなく、心の傷が癒えたと思っています。本当にありがとうございます。

中学生

イメージ 2
そして「北九州市立霧丘中学校」に入って、兄の真似をするように剣道部に入部しました。
練習はきつく、弱音を吐きそうになりましたが、その時も友人に恵まれて3年間部活動を続けることができたと思います。剣道初段を取ることができましたが、3年間の部活動ではあまり大きな結果を残すことはできませんでした。

高校生


高校受験のとき、実は・・・僕・・・なめてました(-_-;)
なーんとなく中の上くらいの成績だったので、まぁ高校受かるだろうと思っていたら・・・
第一志望に落ちました(-_-;)
んで、「私立九州国際大学付属高校男子部」の準特進クラスに進学することになりました。
入学式に行くと当時の校長先生がテンションの低い僕らを一蹴しました。
「君たちは志望校に落ちて悔しいだろう。でも、まだ勝負がついたわけではない。三年後大学受験で見返してやればいい」と言われビックリして目が覚める思いでした。家でも受験に失敗したことを話題にするのはタブーになっていたのにまさか校長先生からそのような「祝辞」を頂くとは思いませんでした(笑
その後教室に入ろうとしたら僕は繰上げで特進クラスに入ることになりました。特進クラスは完全に成績順のクラス分けだったのでクラスで最下位、校内で150番目の成績と言うことがわかりました。
メラメラと負けず嫌いの血が騒ぎ、初めて勉強をがんばって成績を上げることに成功しました。

高校一年の時にとても賢い友人と出会い今でも畏友として尊敬し続けられていることは怪我の功名と言いますか、人生に無駄な時間など無いことを僕に教えてくれています。


受験


 

大学受験の志望校を決める時に僕は「九州歯科大学」しか考えていませんでした。
理由は二つだけです。
一つは母子家庭だったので実家から通える範囲で進学したかったからです。
もう一つは、「九州歯科大学」は父が、成績優秀だった兄に冗談半分本気半分で進学を勧めていた学校だったからです。
んが・・・志望校を決めた高校二年生の時には明らかに学力が足りませんでした。(-_-;)
まじめに勉強するものの、直前の模試でも合格率50%

Σ( ̄д ̄;)ハンハン?
まず、三年生の1月に「大学入試センター試験」がありました。成績はまずまずでした。
そして、「九州歯科大学」の推薦入試を受けました。小論文と面接でした。
小論文はまずまずでしたが、面接で物凄く緊張して視界が斜めになっているように感じるほどでした。
・・・落ちました・・・まぁ定員10名だし仕方ないやと気持ちを切り替え、前期試験に臨みました。
「九州歯科大学」の前期試験の評価基準は【センター試験の成績+生物(もしくは物理)+数学】でした。
過去問を解いてみると僕の得意の生物はかなり難問

Σ( ̄д ̄;)ブツリハカンタンラシイ
しかも、僕は当時数学が苦手・・・ヤバイ(-_-;)
前期試験当日、生物は案外すらすらと解けるものの、数学がヤバイ・・・
半ば諦めムードの中、合格発表の日を迎えました。
・・・
・・・・・・
「九州歯科大学」の事務室の前に合格者の番号が張り出されていました。
・・・458
・・・・・・458
・・・
・・・
Σ( ̄д ̄;)アッタ☆
そう!ほぼまぐれと言うかラッキーと言うか良い意味で予想を裏切り現役合格しました☆
まぁ、高校入学した時と同じように、おそらく僕が学力が一番低いので頑張って勉強しました。

大学生??


「九州歯科大学」入学し勉強も頑張りましたが、それと同様・・いや、それ以上に頑張ったのがアルバイトです。
僕がアルバイトをする理由は、
第一にまず学費を稼ぐことです☆
九州歯科大学は福岡県立だったので学費は国立と変わらないのですが、授業料免除の枠が少ないΣ( ̄д ̄;)
枠が少ないから、前年授業料免除だったから今年はだめとか言われてしまう状態・・・親の収入とかじゃなくてね・・
授業料以外にも教科書代・実習器具代が毎年かかります。多い年では20万円くらいかかります・・・
そして、第二に歯科医師として個性が出るようなアルバイトをしたいと思っていました。
一番にはじめたのはホテルや結婚式場のスタッフです。
そこで一般的な接客マナーを学び、様々な仕事も経験させてもらいました。
例えば・・・
新郎新婦の先導役
披露宴の前準備・後片付け
披露宴の音響照明
配膳
バーテンダー
宴会業務の監督
とにかく結婚式に関わる仕事はなんでもやってみました☆そこでの経験は今でも役に立っています。
他には家庭教師や塾講師などをして説明の仕方を学びました。
同じ教える仕事だから家庭教師も塾講師も大して変わらないだろうと思っていたら大間違いでした。個人に教えるのと集団に教えるのとでは同じ内容でも全く違うアプローチをしないといけないと言うことを思い知らされました。
あとは交通量調査やら歯科助手やらやれることはなんでもしてみました☆
いろいろな仕事を経験してみて感じたことは、披露宴のスタッフであろうと塾の先生であろうと仕事ってどんな立場で働いていても人の役に立っている事がやりがいになり、さらに自分の技術を磨きもっと喜んでもらおうという意欲につながるということを感じました。また、たくさんの職場でたくさんの人と出会い自分の狭い世界が少しずつ広がることを感じましたし、アルバイトをやめる時には後を任せることのできるような優秀な後輩にも恵まれました。
本当に内向的だった僕がいろいろな人のご縁に恵まれて、社交性を身につけさせてもらったことには本当に感謝をしています。

歯科医師


卒業を間近に控えた歯科大生は、「歯科医師国家試験」に向けて猛勉強をします。

さすがに僕も人生で一番勉強をしました☆
そして、「歯科医師国家試験」と同じくらい頭を悩ますのが「就職」です。
僕はできれば大学に残りたいと思っていました。
しかし、経済的な理由もあり大学院進学は厳しく、かといって研修医で大学に残ってもあまり勉強にならないといわれていたのですごく迷っていました。
(僕が卒業したころは研修医は義務化されていませんでした。)
そんなときに同級生が「開業医で勉強するんなら僕のバイト先に行きなよ」と北九州市小倉北区日明にある「こが歯科医院」を紹介してくれました。

 

そこでは一年目からたくさんの事を教えていただき、たくさんの経験をつませてもらいました。
診療のことはもちろんですが、
こが歯科医院の院長先生はディズニーランドが好きなこともあり
新しい接客接遇についてなど本当に多岐にわたり勉強をさせていただきました。

 

2008年1月に「こが歯科医院」を退職し2008年3月より「小文字歯科クリニック」の院長となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小文字歯科クリニックの院長になってからは、一段と地域との関わりが増えたように感じています。これを書いている2017年現在ようやく開院9年を過ぎました。

たくさんの方に支えていただいておりますが、まだまだこれからもうひと頑張りして10年20年とこの病院で頑張らせていただこうと思っています。


院長